神社位置の規則性の裏にある壮大な物語

熱田神宮と伊勢神宮に行くことができたので神社の位置関係について考察し、

その裏にある壮大な物語を想像してみたいと思います。

 

伊勢神宮にまつわる位置の話

よく言われているのが、

伊勢神宮の位置する緯度や経度に

関わる位置に、主要な神社が建てられているということです。

熱田神宮

熱田神宮との関係。位置は以下の通り。

 

                         東経°     北緯°

熱田神宮           136.9        35.1

伊勢神宮(内宮)   136.7       34.5  

 

1°が111kmくらいなので南北ラインで東西20㎞くらいのずれですね。

直線距離なら70㎞くらいなので南北によく並んでいると言っていいかもしれません。

創建当時の技術を予想すると、かなりの精度といっていいのでしょうか?

現在の熱田神宮は“伊勢湾に突き出た熱田大地の南端”という位置から、移設されたようなのですが、資料見つからないので現在地の情報です。

名古屋市緑区大高町火上山とHPに載っているのですが、ここでしょうかね?

ここなら地図上ではあまり変わりません。

オリジナルの位置が別のところなら、もしかしたら、

もっとずれは少なかったかもしれません。

 

鹿島神宮~熱田神宮~出雲大社

話変わって、神社や、古代史に興味のある人たち界隈では有名なのですが、

鹿島神宮、熱田神宮、出雲大社が同じくらいの緯度にあるとのこと。

 

参考書としては、隠された神々 吉野裕子(河出出版)があって、

1975年に刊行された本の復刊です。

古代から日本では真ん中に人を置き、東から西の流れがある世界観を持いて、これが南北ラインに変わってきた。

この神社の流れでも日本国土で最長の東西線は鹿島と出雲を結ぶ線ということを知っていて、その中央に熱田神宮がある、

と記述されています。

本の初めの方の記述ですが、こんな内容から始まっていて、

古代日本を知る上でも読んでおいて損はないです。

 

 

https://www.amazon.co.jp/%E9%9A%A0%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E7%A5%9E%E3%80%85-%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E4%BF%A1%E4%BB%B0%E3%81%A8%E9%99%B0%E9%99%BD%E4%BA%94%E8%A1%8C-%E6%B2%B3%E5%87%BA%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%90%89%E9%87%8E-%E8%A3%95%E5%AD%90/dp/4309413307

 

各神社の位置

位置を示すとこんな感じ。

 

等間隔の緯度で、経度の中間地点に熱田神宮があるという位置関係になっていて、

東の日が昇る鹿島神宮が誕生、西の日が沈む出雲大社が黄泉(死)、

熱田神宮はヤマトタケル自身とも読み取れるそうで、この真ん中に人がいる

という人の一生モデルになっているようです。

 

3社の関連

鹿島神宮、熱田神宮、出雲大社の関連はというと、熱田神宮には草薙剣が収められていて、

草薙剣は八岐大蛇(やまたのおろち)からスサノウノミコトが取り出したので、その出雲大社。

(出雲の国を滅ぼしたことになる)国譲りで活躍した武御雷命(たけみかづちのみこと)は、

鹿島神宮に祀られていて布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)が収められている、と言われます。

 

刀つながりの強力なラインということですが、GPSなんかない時代にこの壮大な位置関係を構築するとは、まさに神がかりです。

 

この東西の鹿島―出雲ラインと、

この中間地点を通る南北の伊勢―熱田ラインには何か関係があるのか?

とても気になります。

 

各地点のプロット

理系の私としては、少し意地悪してどれくらいばらついているのか調べてみました。

まずは鹿島-熱田-出雲について。

                            東経°     北緯°    

出雲大社               132.7          35.4

熱田神宮               136.9          35.1

鹿島神宮               140.6          36.0  

鹿島-出雲の中間   136.7       35.7  

伊勢神宮 内宮      136.7           34.5 

 

東西の位置関係

これはプロットするまでもなく、表から判ります。

出雲大社と鹿島神宮の中間経度が136.7°、1°は111㎞くらいなので、

熱田神宮は中間地点から20㎞くらい東にずれている。

出雲―鹿島の直線距離は720kmなので、

熱田神宮の位置はこの2.8%くらいしかずれていない。

ただ、伊勢神宮は東経136.7°でほぼピッタリ。素晴らしい。

 

南北の位置関係

東西は素晴らしい一致が見られましたが、では南北では?

エクセルでプロットしてどのていどのばらつきか確かめます。

実際の数字は、google mapにある下7桁まで使ってます。

絵にするとそうでもないですが、鹿島、熱田、出雲とプロットすると一直線というわけではないですね。

ばらつきがないとR²=1となりますが、ここでは0.3997となっているので、

数学的に相関があるかというと、ない、といわれてしまいます。

3点プロットというだけでも批判されそうです。

 

当時の技術で、東西700㎞離れて70㎞のばらつきなら文句言うなと言われそうです。

よく、お寺はの都合、神社は土地の持つエネルギーの高さの都合で建てられると言います。

土地の都合まで考えて一直線というのはまず無理といわれれば、それまでです。

 

ただ、このままだと、当時の技術を馬鹿にして終わってしまう形になるので、何か不本意

何かないかなあと考えました。

 

近似線を伸ばしてみる

少しこの近似線を伸ばしてみます。すると、

なんと長安の都がそこにある。

今では中国の一都市、西安市となっていますが、

聖徳太子の活躍しているころから平安時代までの中国の隋や唐の都でした。

もっと紀元前の過去にさかのぼれば、兵馬俑で秦の始皇帝が眠っています。

 

長安と日本

今年は、神社でよく見る皇紀2678年、つまり日本が始まって2700年近く経っている、

といわれていますが、ぶっちゃけ、今の形の神社の成り立ちは、

古くても500-600年代の飛鳥(白鳳)から奈良時代という資料が多く出ているようです。

 

このころは今でいえば中国、当時は隋や唐が世界の最先端で、

多くの文化や技術が日本に入ってきた時代です。

その都をリスペクトし、同じ緯度に建物を建てるということは、

国家プロジェクトとしても十分成り立つし、

方位の力を感じて、様々なことを決めるということは、

おそらく当時の最先端科学だったと思います。

 

中国草世期の統一王朝、秦の始皇帝で有名な秦の都も西安市にあることから、

2000前の紀元前で考えても、この長安の辺りを見習うということは、

あってもいいかもしれません。

 

長安と伊勢神宮の位置関係

ということで、まず、長安と伊勢神宮の緯度を比較してみます。

 

                          東経 °                 北緯 °

長安(西安市)       108.9                  34.3

伊勢神宮 内宮      136.7                    34.5  

長安との緯度差              0.1°

長安との南北距離          12.6㎞

直線距離      2541.9㎞         

 

2500㎞離れた地点の南北差わずかに12㎞。0.5%の誤差しかないです。

きちんと測量して設計したとしか思えない数字です。

 

各神社の南北の位置関係

では話を戻して、各神社の南北の位置関係が、どのくらいからずれているかというと

結構ずれている気がします。

 

最大南北0.6度なので70㎞くらい。ちょうど伊勢神宮と熱田神宮の距離くらいですね。

そういう目で見ると、

伊勢神宮、熱田神宮、出雲大社、鹿島神宮は、南からだいたい緯度0.5°の間隔に位置しています。

ずれがあると言っても規則性があるみたいで、

このばらつきにも意味があるような気がしてきました。

で、問題の鹿島神宮~熱田神宮~出雲大社ラインに長安を加えてプロットしてみます。

 

 

長長安、出雲、鹿島安を加えるとこのライン上に乗っているように見えます。

相関係数はR²=0.82とかなり1に近づいて、これなら相関あり、

といっても差し支えないと思います。

 

ただ、ここで一つ疑問が出てきます。伊勢神宮を長安とほぼ同じ緯度に設計できるのに、

なぜ出雲―鹿島でずれがあるのか?

 

長安~出雲~鹿島ライン

そこで、ラインから少し外れている熱田神宮を抜いて長安、出雲、鹿島でプロットしなおすと、

 

R²=0.9886!

 

ほぼ直線といって差し支えないレベルです。

ちょっと熱田神宮はおいといて、

このライン自体に意味があると考えてもいいのかと思います。

 

位置関係を、再度確認すると各神社の緯度間隔は大体0.5°

そして長安を頂点として伊勢のラインと、出雲―鹿島のラインを、

東西の果てとされる緯度と中心経度にラインを引くと、

 

 

ここで囲われたエリアは、東西に8°、西側の高さ1°、東側の高さ1.5°の

きれいな台形に近い四角形になっていて、

その東西の中心線には伊勢神宮と、熱田神宮があります。

 

ところで東西の中心線はいいとしても南北の熱田神宮の位置が中心から8%ほど

北にずれていて、中心というには少し弱いかなと思います。

そういうわけで、鹿島-出雲ラインと同様に長安との延長線上に何かないか

調べてみました。

そこで、に目を向けるとかの霊峰富士山があります。

日本神話の時代から富士山崇拝の記述はあるので、きっと何かあるに違いない。

 

長安~熱田神宮~富士山ライン

富士山近辺で古い神社特に熱田神宮とかかわりがありそうな、

ヤマトタケルが関わった神社があるか調べたところ、

富士山本宮浅間大社ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)という神社がありました。

かなり格式は高く、全国1300余の浅間神社の総本宮。

富士山噴火の際第11代垂仁天皇はこれを憂い、噴火を鎮めるため、

その3年(前27)に浅間大神を山足の地に祀り山霊を鎮めるため創建されたとのこと。

木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)(別称:浅間大神(あさまのおおかみ))が主祭神。

 

社記によれば、

日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東国の夷(えびす=賊徒)を

征伐するため駿河国(するがのくに)を通られた際、賊徒の野火

(野原で四方から火をつけ攻められること)に遭われました。

尊は、富士浅間大神を祈念して窮地を脱し、その賊徒を征伐されました。

その後、尊は山宮において篤く浅間大神を祀られたと伝えられています。”

 

伊勢神宮の創建時期が垂仁天皇の26年とされていますので、伊勢神宮よりも古いけど同時期の創建とされていて、ヤマトタケルとも関係がありそうですので、熱田神宮と関連付けてもよさそうな気がします。

現在のお社は山宮浅間神社(やまみやせんげんじんじゃ)から移設されたそうなので、

オリジナルと思える、この位置を採用します。

地図に載せると、

で、見た感じでも直線上にのっていそうですが、この山宮浅間神社、熱田神宮、長安をプロットしてみました。すると、

ほぼ完全に一直線上にのっていることを示すR²=0.9913!

ちなみに今の富士山本宮浅間大社の位置を使うとより直線に近いR²=0.9972です。

 

このラインが台形の中心を通っていればよかったのですが、

残念ながら5~13%ほど北に位置していますので、

やっぱり熱田神宮は結界の中心からちょっと北にずれていることになります。

ただ、東西の中心線と熱田―富士山ラインが交わる熱田神宮の南北の位置にも意味があり、

人を象徴する熱田神宮はその結界のほぼ中心にあると信じていい結果と思います。

 

プロットまとめ

これまでのプロットをまとめるとこんな感じ。

縦軸、横軸の縮尺はかなり差があり、縦軸(南北)のずれは強調しているかたちですが、

それぞれのラインは、きれいに一直線上にのっています。

神社一連のプロットの結果から、

それぞれの神社の位置が、

かなり意図的に、

高度な測量技術を使って建てられている、

といっても差し支えないと確信できました。

 

神社配置の意図

ではどういった意図があったのか?

いろいろな本や情報は取り入れていますが、ここからは論理云々ではない、

かなり恣意的な、飛躍した話になります。

古代のロマン程度でとらえていただいて構いません。

 

前出の、「隠された神々」で、鹿島神宮を生の象徴、出雲大社を死の象徴とみると、

東西のラインは生と死の流れ、の中間地点に人の象徴の熱田神宮があるという構図。

 

中心線を南北で見た場合、熱田神宮はやはりヤマトタケルノミコトに例えられて、

人の象徴、伊勢神宮は日本の総氏神である天照大御神が祀られているので神の象徴。

なので、エリアの中心を通る南北のラインは、神から人になっていく流れになっている。

 

このエリアは生と死、神と人の概念で囲われた結界を神社で実現したということを

意味しているのではないか?と考えられます。

 

そして長安と富士山のエネルギーを借りた人(熱田神宮)がこのエリアの中心近辺にいる。

 

この結界のエリアは当時の朝廷の力の及ぶ範囲内であったと推察できるので、

当時の全日本を要所にある神社でカバーする壮大な物語が展開された、

という結果なのではないでしょうか?

 

これまでの話を総合して要約すれば、

 古代の日本人は、生と死、神と人の結界を神社で表現し、

その中心に人間を置くことで人を守ってきた

 といえるのではないでしょうか?

 

飛躍しすぎですかね?

日本に神社は80,000社近くありますので、都合のいい神社の組み合わせが出てくる可能性はあり、今回はたまたまその神社をピックアップしただけかもしれません。

数字に関しても本来球面上の位置を、平面として計算しているので実際の位置とは

微妙に異なります。

また、宗教的、歴史的根拠までは詳細に調べていません。

こんな、疑問点は多々あることでしょう。

 

ただ、このまま結果を意味あるものとして数字を素直に受け入れると、

理由はどうあれ、当時の測量技術の高さはすごかったんだなあ、

と、尊敬できる結果になりましたので、私はとても満足です。

きれいに話がまとまりましたので、自己満足して終わりにしたいと思います。

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