旅行003 八咫烏(やたがらす)の住む熊野三山 後編―熊野速玉大社、熊野本宮大社

那智の滝と熊野大社に行けたことで満足はしていても、熊野三山の旅程はまだ続きます。

 

和歌山名物

予定時間を大幅にオーバーしていましたが、ここで他の2社に行かない選択肢はないので、途中のドライブインで和歌山ラーメンマグロカツを食べて熊野速玉神社に向かいました。

 

 

熊野速玉神社(くまのはやたまたいしゃ)

食事の時間も入れて1時間もたたないで速玉大社に到着です。このころにはすっかり雨も上がっていました。

熊野速玉神社は熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)と熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)の2神、言い換えると、イザナギノミコトとイザナミノミコトを主祭神として、熊野の神々を祀っているとのことです。

ここがその拝殿。

 

改修したてのような鮮やかな朱色の建屋でした。お参りする箇所は5つありそれぞれ参拝。主祭神の拍手で2拍手目は、この一連のお参りの中で自分でもびっくりするほどの一番の響きがあり、自分と何かが共振した瞬間を感じました。

もしかしたら、あの瞬間なにかが降りて来たのかもしれません。

という意味で、こういっては失礼ですが、事前にはそれほど興味深いとは思っていなかった神社が、一番の親しみを感じる神社になりました。不思議なものです。

 

興奮冷めやらぬまま、次に熊野川沿いの道を使って熊野本宮大社に向かいます。

 

 

熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)

熊野本宮大社は熊野参詣の中心地で、熊野速玉之男神(くまのはやたまのをみこと=イザナギノミコト)、熊野牟須美大神(くまのふすみのおおかみ=イザナミノミコト)、家都美御子大神(けつみみこのおおかみ=スサノウノミコト)、天照大神(あまてらすおおみかみ)という、日本創生神話のオールスターが祀られている、ご創建2050年を迎えた、大変な神社です。家都美御子大神(けつみみこのおおかみ=スサノウノミコト)が主祭神になります。

 

スサノウノミコトの漢字は変換しても出てきませんが、こんな感じです。

 

参拝

一の鳥居はここ。

 

 

 

鳥居をくぐると、やっぱり階段。

 

 

 

 

 

階段を上ると正面に神門と、左側に拝殿。

神門の奥に本殿がスサノウノミコトなどが祀られている本殿があります。

この先は撮影禁止ですが、しっかり参拝はしてきました。

神門前の拝殿では八咫烏(やたがらす)が祀ってあり、のぼりはどこかで見たようなマークが。

 

 

 

 

 

 

 

八咫烏(やたがらす)

たびたび出てくる八咫烏(やたがらす)ですが、ここで解説。

本宮内に掲示してある説明書きと、HPの内容を要約します。

八咫烏は、

太陽の化身、神の使者で3本足のカラス。この3本は、スサノウノミコトのご神徳(神が人間に加える力)である、智、仁、勇、あるいは天、地、人の意味がある。

天とは神様のこと。地とは大地のことで我々の住む自然環境。

つまり八咫烏とは、太陽の下に、神様と自然と人が血を分けた兄弟であるということを、

二千年前に示されていた象徴、ということになる。

カラスは一般には不吉の鳥とされているが、方角を知るので未知の地へ行く道案内や、遠隔地に送る使者の役目をする鳥とされていて、日本を統一した神武天皇を、大和の橿原まで先導したという神武東征の故事(伝説?)に習い、導きの神として篤い信仰があるとのこと。

 

3本足のカラスは日本サッカー協会のこんなマークで有名ですが、

明治時代の協会発足当時からこのカラスをシンボルとしているそうです。

本宮社務所がこの意味を考えると、目的とする相手ゴールを外すことなく、きちんととらえて納める、という意味ではないか、としています。

 

 

これは拝殿なのですが、中をのぞくと、サッカー日本代表のユニフォームや歴代ワールドカップ公式球が納められていました。

これまでも協会でお参りしていたでしょうし、今回のワールドカップの活躍でお礼参りしたかもしれません。

 

金色の八咫烏

また、この拝殿前には八咫烏ポストが設置されていて、社務所で八咫烏のスタンプを押してもらえて、普通に手紙を出すことができます。

 

通常はポストの上のカラスは黒なのですが、今は創建2050年の企画で金色の八咫烏仕様になっています。

当然、八咫烏おみくじがあり、金色があります。今年限定みたいです。

おみくじは、ひっくり返したおなか部分に収まっていました。

 

 

日本第一鳥居

階段をやっとのことで降り、一通り熊野三山をお参りできたかな、と思ったのですが、日本第一鳥居という看板を見かけてしまいました。

調べてみると、昔から熊野本宮大社は、熊野川の中州にあったそうです。

こちらが昔の様子。が、1889年(明治22年)大規模な洪水で旧社地の社殿は破損、現在の位置に遷ったとのこと。

旧社地の中州は大斎原(おおゆのはら)と呼ばれていて、はここに日本一大きな鳥居がここにあります。

 

折角だから行ってみようか、ということで、本宮大社から車で5分くらい走り、到着。ちょっと歩いて、それがこれ。

確かに大きい。

鉄筋コンクリート製で、高さ33.9m、横42mで、ビルなら10階建てぐらいの高さ。

2000年に建てられたそうです。

昨年は安芸の宮島、厳島神社の鳥居を見て、でかいなあと思いましたが、

これは高さ16.6m、棟の長さ24.2mとのこと。ちなみに木造の鳥居としては日本一です。

大きいことはすごいのですが、本殿のない鳥居で、現本宮につながる向きでもないので、その存在意義は疑問です。やっぱり神様はまだ、こちらにいるということなのでしょうか?

大きさの感動と、少しの疑念を持ちつつ、大斎原(おおゆのはら)の駐車場近くに八咫烏の碑があったので、ここで写真を撮って、熊野の地を離れることになりました。

 

八咫って?

八咫烏がとても気になり、碁石の黒石の原料で有名な那智黒石で作った八咫烏が、お土産屋にあったので、入手しました。

10㎝くらいの大きさですが、大きさの割にずっしり重い。

これで、おみくじの分を入れて、3体の八咫烏が家にいることになりました。

 

ところで、八咫(ヤタ)って何だろうと思い調べてみたら、意味があったようです。

そもそも咫は古代日本や中国における長さの単位で、主に円周の長さを表すのに用いたものです。直径1尺の円の周長が4咫。つまり三種の宝物の「八咫鏡」とはそのままであれば「2尺の円の鏡」という意味。ただ、実際の長さというよりは、”非常に大きい”とも、“偉大”とも例えられ、八咫烏の場合は、神の象徴として「非常に大きく偉大なカラス」という事になるみたいです。八百万の神様の八百万と同じような感じでしょうか?

奈良への道

熊野本宮~奈良の移動は、奈良県の国道168号線をひたすら北上です。

3時間ちょっとかかって、次の目的地、奈良のホテルに到着し、旅の2日目の日程は終了です。

 

 

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